先日、大学院の恩師の授業に参加させてもらった際
義足を利用している方と出会った。
最も印象に残っている話は、エスカレータでの話。
現在、日本では(少なくとも京都や大阪や東京では)
エスカレータの片側が歩く人、もう一方は歩かない人、のような
暗黙のルールがあるようだ。
歩かない人の列は左右どちらか、東西で違いがあるなど
私たちの会話や興味はその程度のものだが
義足を利用している人にとっては、体を支えるうえでは
左右を選ぶことができないというのはとてもつらいことだそうだ。
「勇気あるときは歩いている列でも立つけど、めったにそれはできない」
「立っていると、時々 知らない人に舌打ちをされる」
そうおっしゃる彼女。
エスカレータでそんなに不自由な思いをしていることがいること、
自分も「みんな同じ」だと無意識に勘違いしていた事実、
しみじみ、「知らない」ことの怖さを知った。
一見どこも不自由に見えずとも、世の中には、彼女のように義足の方もいれば
内部疾患等外からは見えない障害を抱えているかたも大勢いる。
配慮のなかった自分を恥ずかしく思った。
「心のユニバーサルデザイン」は、一歩一歩。
まずは知ることから。教えてもらえてよかった。
そう思いつつ、昨日は京都駅のエスカレータ、歩いている側に立ってみた。
後ろを振り返ったが、特に怒られる様子もなかった。